閑樂祕鍵

OTIVM HOMINEM HOMINEM FACIT

スクスタ20章の感想と考察

本稿では、本年10月31日に発表された『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS』メインストーリー第20章について、考察メインの感想を綴っていきます。なお本稿の文章は、既に私が10月31日から11月2日にかけてツイッターに投稿した感想ツイートに大幅な加筆・修正を施したものです。また、言うまでもありませんが本稿はスクスタのメインストーリー1〜20章や各キャラのキズナエピソードのネタバレを含んでいます。

 

このスクスタ20章というコンテンツは現在ラブライブ!シリーズ史上最大と言ってもよいほどの炎上の真っ只中にあり、既に多くの読み手が考察記事をネットに投稿しています。本稿ではそういった他のネット記事の内容と重複する部分も少なくないためわざわざこうしてブログ記事にすることもないと思ったのですが、ツイッターに投稿した感想ツイートを論点を整理した上で再編集したいと思ったのと、感想ツイート投稿後に補足したい事項もいくつか出てきたので、たくさんの人に読んでもらうためというよりはほぼ自分の論点整理のために記事を作成することにした次第です。では、前置きはこのくらいにして本題に入ろうと思います。

 

まず私の立場をあらかじめ明確にしておきます。私はこれまでスクスタのストーリーが面白いと感じ、リリース日の2019年9月26日から現在に至るまで13ヶ月にわたりスクスタをプレイしてきました(プレイと言っても、ゲーム自体にはあまり興味がないのでキャラの育成はストーリーを読むために必要な最低限に留めていますが)。毎月更新されるメインストーリーやキズナエピソードはいつも楽しみにしていましたし、栞子が登場してから同好会に加入するまでの一連の流れやインターミッション編も多くの人から叩かれているのを横目に楽しんで読んでいました。もちろんこれらの話がつまらないと評される理由には一理あるものもありますが、しかしわざわざ積極的に叩くほどでもないだろうと思っていました。しかし10月31日に追加された20章は、そんな「信者」の私から見ても擁護の余地がほとんど見当らないほど最悪の脚本だと感じざるを得ないものでした。ですから、以下で記述することは基本的にはスクスタ20章に対する批判ということになります。その点はご了承ください。

 

私がスクスタ20章に対して感じている問題点を大別すると、次の2種類になります。

 

  1. キャラや世界観の根本的な設定に致命的に抵触するほどの不自然な点、あるいは支離滅裂な点がストーリー上に多数存在する。
  2. ストーリーの方向性が『ラブライブ!』という作品のコンセプトに相応しくない。

 

まずはこの1点目から詳しく見ていきます(以下の問題点1 - 1 から問題点1 - 7 まで)。

 

 

問題点1 - 1:愛・果林が適性至上主義を黙認していること

 

スクスタ20章の脚本を擁護する意見の中には、「同好会はソロ活動がメインなのだから、愛と果林が「スクールアイドル部」に移るという選択は不自然ではない」という主張が非常に多く見受けられます。しかし、ソロ活動がメインだということは、愛と果林のこの選択を正当化する根拠にはなりません。

 

そもそもスクスタの 1st season は、自身の適性至上主義をあの手この手で押し付けようとした栞子に同好会10人が一丸となって対峙し、自分の「大好き」を尊重することの大切さを栞子含む同好会全員が改めて確認した、という成長物語がそのストーリーの核心でした。一方で20章でランジュが実行したのは、適性を持った(ランジュの言葉で言えば「荒削りだけど、それぞれの個性が尖って面白くて、その輝きを磨けば、さらにアタシを輝かせる最高の光になってくれるはず」の)同好会メンバーたちの才能を最大限に引き出すことができる(とランジュが主張する)「スクールアイドル部」に、脅迫まがいの嫌がらせをすることで加入させようとするというものでした。

 

このランジュの行動規範は、スクールアイドル文化自体を嫌悪していた以前の栞子の行動規範とは趣が異なるものの、適性至上主義という思想のもとに他人の「大好き」を奪おうとしているという点に関しては共通しています。ですから、同好会メンバーがランジュの横暴な行動に対して断乎としてNOを突きつけないということは、1st season を通して得られたはずの成長や最も大事な教訓が無かったことになってしまうことを意味するのです。

 

ところが 1st season が終了して間もない20章では、栞子よりも極端な方法で同好会を排斥し始めたランジュ率いる「スクールアイドル部」に、同好会メンバーである愛と果林が何の躊躇もなく平然と加入しています。だからこそ、愛と果林の選択は不自然だと感じられるのです。逆にいえば、そういった教訓が明確に得られておらず、メンバー同士の絆も比較的稀薄だった同好会結成初期にそういう展開になったというのなら、まだその点の違和感は薄かっただろうと思います。

 

 

問題点1 - 2:愛・果林・栞子が「あなた」に連絡せず退部したこと

 

愛・果林・栞子の3名は、「あなた」が短期留学から帰国した時点で既に同好会を抜けて「スクールアイドル部」に入部しています。これ以外の同好会メンバー7名に関しては、(歩夢からも説明があったように、)留学中で大変な状況の「あなた」に余計な心配をかけたくないという理由で、今回の件について「あなた」に緊急の連絡を入れなかったというのはまあ理解が可能です。しかし愛・果林・栞子の3名は既に「あなた」との非常に厚い信頼関係を構築しており、特に愛・果林と「あなた」とは付き合いも長いにも関わらず、退部という極めて重大な決断を留学中の「あなた」に伝えないまま同好会を退部し、「スクールアイドル部」に加入しています。さすがにこれは「余計な心配をさせたくないから」という理屈では通りませんし、この3名の行動は「あなた」に対して極めて不義理で失礼なものと言わざるを得ません。この3名、そんなに性格が捻じ曲がったキャラだったでしょうか?

 

 

問題点1 - 3:栞子の退部理由が明言されていないこと

 

栞子は20章5話において、ランジュの性格やこれまでの言動を自己中心的で失礼だと断じた上で、ランジュに代わって「あなた」に謝罪しています。さらに、これからの同好会の活動を応援するとまで言っています。では、そもそもなぜ栞子は同好会を抜けたのでしょうか? そこが重要な点なのに、栞子自身の口からは明言されませんでした。同好会の脱退理由は今後の章で語られるのだろうとは思いますし、おそらく「「スクールアイドル部」の内側からランジュを改心させる機会を窺いたかった」みたいなところなのでしょうが、これは20章の中でせめて伏線くらいは張っておくべきだったと思います。脱退理由が何も語られなかったせいで、20章における栞子の言動が完全に支離滅裂な印象になってしまっていると感じました。

 

 

問題点1 - 4:愛・果林の同好会メンバーに対する配慮が全く無いこと

 

愛と果林の2人が「スクールアイドル部」に入部したのは、ランジュからの脅迫という消極的なきっかけがあったためとはいえ、最終的には「部のやり方に興味があった」「なんにも知らないまま全否定はしたくなかった」「スクールアイドルが好きな人とはみんな友達になりたい」(愛)、「なんでもかんでも一緒っていうのは違う」「お互いを磨きあい高めあう関係でいたい」「プロが協力してるだけあって、やってることは高度」「勉強になることがたくさんある」(果林)などという積極的な理由付けをして入部に至っています。さらに、2人は現在の同好会が如何に切迫した状況にあるかがよく分かっているはずです。そうであるなら、2人の性格がよほど歪み切っていない限りは、良心の呵責に耐えかねて同好会メンバーに合わせる顔など無いはずなのです。

 

ところが20章2〜4話において、2人は同好会メンバーに対していつもと全く同じノリで、無邪気かつフレンドリーに接しています。このため私はこの2人に対して、苦境に喘いでいる友人に一切何の配慮もできずただ自分の実益のみ優先しようとするサイコパスのような印象しか持てませんでした。言うまでもありませんが、これまでのスクスタのストーリーでの2人はこんな鬼のような性格のキャラとしては決して描かれていませんでした。この点は私が今回の20章で最も不気味に感じ、ホラー作品を見ているかのような背筋が凍る思いをした箇所です。

 

 

問題点1 - 5:監視委員会という支離滅裂な組織を作ったこと

 

そもそも虹ヶ咲学園はスクスタの公式紹介文において、「東京・お台場にある自由な校風と専攻の多様さで人気の高校」だと説明されています。ところが、この「自由な校風」の虹ヶ咲学園の経営トップである理事長は、娘・ランジュの自己中心的な野望のためだけにわざわざ監視委員会を設置して、同好会所属の何の罪も無い生徒の基本的な権利を剥奪するという常軌を逸した行動に出ています。「自由な校風」の高校どころか、どんなスパルタ高校でもやらないようなことを理事長が平然と行っているのは支離滅裂と言わざるを得ません。まあこの点は、9章で臨時生徒会長選挙の実施を許可した時もちょっと思いましたが、今回は輪をかけておかしいです(というか今になって思えば、旧知の間柄である栞子に頼まれたがゆえにOKしたのでしょうね)。

 

 

問題点1 - 6:しずくの脱退理由が不明瞭、不自然であること

 

20章最終話において、しずくが同好会を脱退して「スクールアイドル部」に入部することを決意しました。ここを最初に読んだときはしずくの脱退の理由を理解できたと感じたのですが、しかしよく考えてみるとこれも何となく不明瞭かつ不自然です。しずくの脱退理由のうち1つ目は、「部」と同好会で何がどう違うのか自分の目で確かめることで同好会に何が足りないのか見極めることだと語られました。ですが、これってわざわざ「部」に入らなければ分からないことでしょうか? 結局、クオリティが高いかどうかという点に加え、それぞれのアイドルにしかない人間的な魅力がライブパフォーマンスにおいてしっかり表現できているかどうかという点が「部」と同好会の違いなわけで、それは「部」に入らなくても理解できることのように思えてしまいます。百歩譲って、このしずくの脱退理由は認めるとしましょう。しかし脱退理由の2点目が明らかに不自然です。それは、ライブでのかすみのMCを見たしずくが「私も成長して、自信を持って私の方が魅力的なんだと言い切れるようになりたい」と思ったからという理由です。これでは、愛・果林の実益重視の転部理由とちっとも変わりません。愛・果林の転部に疑問を抱き反発する同好会メンバーたちを見てきたしずくが最終的に出した結論が「成長したいから」というのは、あまりにも稚拙なのではないでしょうか。

 

 

問題点1 - 7:「あなた」が過去の教訓に学んでいないこと

 

6章で描かれたμ'sと虹ヶ咲の十番勝負のラストで、「あなた」はクオリティに自信のある曲を仕上げたにも関わらず、真姫の作ってきた曲を聴いて戦意を喪失してしまいました。ですが、真姫の曲に魅力がある理由はクオリティ以上にμ'sメンバーを意識して作られたまさしくμ'sのための曲だったからだと気づき、自らも同好会のための曲を作ろうと奮起して作られたのが『TOKIMEKI Runners』でした。ところが、20章4話で天才作曲家ミアの実力を知った「あなた」は自分の作曲のクオリティの低さに絶望し、「部」の環境の方が同好会メンバーたちにとって適しているのではと考えてしまいます。しかし、これは『TOKIMEKI Runners』作曲という大切な経験で得られた重要な教訓を、「あなた」がさっぱりと忘れてしまっていることを意味します。もちろん最終話ではクオリティよりもメンバーが第一だと「あなた」は気づくわけで、それを一時的に忘れてしまったのは一連の騒動で精神が大きく動揺していたためなのかもしれません。ですが、それもかすみ達のパフォーマンスを見るまで気づかなかったというのは、やはり当時の経験を忘れてしまっているのではと疑わざるを得ません。スクスタは「あなた」も含めた同好会メンバー全員の成長物語のはずなのに、この点でも過去の成長に疑義が持たれることになってしまいます。

 

 

以上、1つ目の問題(つまりストーリーにおける不自然な点に関する問題)を指摘してきました。20章の脚本を擁護する意見をネットで色々と見て回ったつもりですが、これらの不自然・支離滅裂な点に対して論理的な説明を与えているものは残念ながらほとんど見当りませんでした。しかし、上記「問題点1 - 1」については比較的注目すべき考察が一点だけ見受けられました。それは、「愛と果林が「スクールアイドル部」に入部した本当の理由は実は全く別のものであり、その理由は同好会メンバーにすら気づかれてはいけないほどデリケートなものなのではないか」という考察です。

 

具体的に一つの可能性として指摘されていたのは、愛と果林はスパイとして「スクールアイドル部」に潜入しており、スパイであることを徹底的に秘匿するためには味方である同好会をも欺く必要があったという筋書きです。これはサスペンス作品ではよく用いられる展開であり、私も別作品で実際に見たことがあります。しかし、サスペンス作品でスパイが味方まで欺くというのは、そうしなければならないほど人命などに危機が及んでいる状況だからではないでしょうか。言うまでもなくスクスタは(というか『ラブライブ!』シリーズは)、そんなにシリアスな作品ではありません。味方である同好会メンバーに、自分たちのスパイ計画を極秘に相談してはならない理由などとても思いつきません。

 

もう一つの可能性として指摘されていたのは、愛と果林はランジュが抱える心の闇を何らかのきっかけで知ってしまい、気の毒に思った2人がランジュを救済すべく自ら「スクールアイドル部」に入ったものの、何らかの事情で同好会メンバーにそのことを喋るわけにはいかなくなったという筋書きです。実際、20章5話で栞子は「ランジュは……華やかな外見、有り余る才能に、裕福な家庭、誰しも羨むものをたくさん持っています。だけど、足りないものもまた多いんです」と言っており、この「足りないもの」によってランジュに心の闇がもたらされたという可能性は確かにあるかもしれません。それに、ラブライブ!史上ダントツで最低になっているランジュの好感度を戻すために、後の章でランジュの心の闇を描写して救済するという展開は十分に予測できます。(ちなみにスクスタ20章とかなり筋書きが似ているTVアニメ『プリパラ』2期でも、プリパラを支配し独裁者になろうとした紫京院ひびきが実は幼少期にトラウマを抱えており、心に闇を抱えたひびきを皆で救済するという結末を迎えています。)ですが、この可能性もいまいち説得力に欠けます。いくらランジュがそういった問題を抱えているからとはいえ、ランジュを救済するということは長きにわたり親交を深めてきた同好会メンバーたちの気持ちを蔑ろにしてよい理由にはなりません。仮に同好会メンバーに正直に事情を話すことで余計に誤解を生むことを危惧したのだとしても、ストレートに物事を言う性格の愛や果林ならば友人を信じてしっかりと本音を打ち明けるだろうと思います。

 

とはいえ、白いカラスが存在しないことを証明するのが不可能であるのと同様に、愛と果林が同好会を離れた「真の理由」なるものが存在しないことを証明するのも不可能です。もしかするとスクスタ 2nd season のライターは天才的な発想力を持っており、誰もが思いつかないような妙案を思いついて脚本に仕組んでいるのかもしれません。本当にそうであればこれはめちゃくちゃ凄いことですし、正直言ってそうであってほしいと思います。ただし今指摘したように、そういうものが存在するという希望は現状かなり薄いと言わざるを得ないのではないかと私は感じます。

 

続いて、冒頭で指摘した問題点の2点目、すなわちストーリーの方向性が『ラブライブ!』シリーズのコンセプトとして相応しくないという問題について見ていきます(以下の問題点2 - 1 から問題点2 - 3 まで)。

 

 

問題点2 - 1:過剰なギスギス展開

 

過去の『ラブライブ!』シリーズにおいてもキャラクターどうしの適度なギスギス展開は描かれており、それがストーリーにメリハリを与えていました。しかし、ストーリーを面白くするためならどんなギスギス展開をやってもいいというのであれば、極論を言えば登場キャラが凄惨な死に方をしてもいいということになります。ですがアイドルコンテンツ全般において、そのようなストーリーは作品のコンセプトに明らかにそぐわないためそんな展開はあり得ません。同様に、『ラブライブ!』という作品には『ラブライブ!』という作品に相応しいギスギス度合いがあります。アイドルどうしの過剰なドロドロギスギス展開を描きたいのであれば、(具体的に何とは言いませんが)別作品でやればいいだけの話で、わざわざ『ラブライブ!』というタイトルを冠してやる意味がありません。まさしく今回追加されたスクスタ20章のように、今まで親交を温めてきた仲間どうしが真っ二つに分断され、登場する新キャラの性格や言動は擁護の余地が無いほど最悪、果ては監視委員会などといったものまで登場する過剰なギスギス展開は、『ラブライブ!』の世界観に適した設定と言えるのか甚だ疑問です。ラブライバーはキャラ萌えだけしていればいい人種だからギスギスに弱いのだ、などと『ラブライブ!』ファンを揶揄する意見も散見されましたが、それは20章のギスギス展開の擁護としてはあまりにも貧弱だと思います。

 

 

問題点2 - 2:キャラの好感度の過剰な低下

 

今回の20章では、ギスギス展開に伴って好感度を低下させたキャラが何人かいました。特に愛、果林、ランジュの3名は大幅に好感度を低下させる振舞いを演じています。もちろん、適度なギスギス展開が必要なのと同様に、すべてのキャラの好感度を下げないようなストーリー作りなどできません。それは『ラブライブ!』シリーズでも同じことです。実際、『ラブライブ!』では絵里が穂乃果たちと長期間にわたって対立したり、『ラブライブ!サンシャイン!!』では Saint SnowAqoursにマウントを取りながら登場したりといった展開がありました。

 

ですがモブキャラでないアイドルキャラを描くにあたって必要以上に好感度を下げるような描き方はしないというのが鉄則であり、これは過去の『ラブライブ!』シリーズでも遵守されてきたことだと思います。またなぜこれが鉄則なのかといえば、(特に『ラブライブ!』シリーズのコンテンツ事業方針に関していえば)各々のキャラに大勢のファンがつくことを前提とした売り出し方が基本方針として採られており、キャラの好感度が下がってしまうことで例えば定期的に開催される人気投票の結果に致命的な影響が出たり、全キャラの演者が出演するライブイベントでの盛り上がりが欠けたりするなどの弊害が生じてしまうためです。

 

ところが、スクスタ20章における上記3名の好感度の下がり方は、ストーリー展開上十分と言えるほどの閾値を大幅に超えてしまっているように思えます。どのような点で好感度を下げたかは、上記の問題点1の箇所で見てきたような各キャラの数々の振舞いからして既に明らかでしょう。さらに補足すると、スクスタリリースとほぼ同時に発売された『Love U my friends』をはじめとする虹ヶ咲2ndアルバム曲のMVがリリースから13ヶ月が経った現在においても実装されていないにも関わらず、新キャラのランジュのMVが優先して作られているなどのプレイヤーからの不満もランジュの好感度低下の一因になっていると考えられます。

 

また、これまでに公表されているキャストのインタビューを読むと、栞子初登場時は栞子への印象が良くなかったとか、同好会側に感情移入していたと語る演者さんが多いことが分かります(例えば『LoveLive!Days 虹ヶ咲SPECIAL』)。これらのインタビューを踏まえると、演者の方々がランジュに対してどんな印象を持っているかは極めて容易に察せられます。しかも、キャラの好感度を大幅に低下させた張本人である運営は表に出てこない代わりに、演者の方々は自身の演じるキャラの設定崩壊や悪評をただ黙って堪えながら見届けるしかなく、更にこの状況下であってもイベントやラジオで場を盛り上げなくてはならないという余計な負担がかかっています。このように、キャスト陣に余計かつ過剰な負担をかけているという点もまた好感度低下問題の深刻な帰結であると言わなければなりません。

 

 

問題点2 - 3:外国・異文化に対する偏見や無理解を助長する演出

 

ランジュ(鐘嵐珠)は香港出身のキャラクターであり、17章で描かれたスクールアイドルフェスティバルを見たことで母親の経営する虹ヶ咲学園のスクールアイドル同好会に興味を持ち、ミアをニューヨークから拉致しつつ虹ヶ咲に転校してきました。一方でランジュとミアの初登場となった19章の最終話では、ランジュは日本を「狭っ苦しい国」と言っています。そのため20章を読んでランジュが香港出身だと分かったとき、私は「香港は日本以上に『狭っ苦しい』のではないか?」と思いました。

 

しかし香港に住む人々の中には、自分は香港人であるという意識を持つ人と、中国人であるという意識を持つ人とがいます。今年6月に実施された世論調査によれば、香港に住む若者の8割以上が自らのナショナル・アイデンティティは香港だと回答したと報道されています。また、香港人としてのアイデンティティを持つ人々と中国政府による権威主義的政策に反対する人々との親和性が指摘されています。しかも、作中でランジュが演じている振舞いは既に何度も指摘したように極めて権威主義的であり、まさしく中国共産党権威主義的政治手法を髣髴とさせるものです。これらの描写から、ランジュは香港ではなく大陸に帰属意識があるのだろうし、北京の政治体制に親和的なメンタリティを持っているのだろうと推察するのは不自然なことではありません。ですがこういったランジュのキャラ描写は、特に香港に住む人々にとってかなり複雑な気分になるものではないでしょうか。また中国人のファンから見ても、自分の国と親和的な印象のキャラがこんなに好感度最悪でステレオタイプの傍若無人なキャラに描かれていたら胸糞が悪いでしょうし、日本におけるサブカルコンテンツに対する幻滅にも繋がりかねないのではないでしょうか。さらにコンテンツのメインターゲットである日本人からして見ても、まるで親中派のような振舞いをするランジュは非常に印象が悪く、「ランジュがこの狭っ苦しい国にワザワザ来てあげたことを、もっと素直に喜びなさい」という発言は癇にさわるものです。日本・中国・香港の3地域のファンにとって平和的交流につながるのであればともかく、逆に互いに敵意ばかり生むという誰も得しない描写がなされてしまっていると言えます。中国や香港という日本との外交関係においてデリケートな立ち位置にある国のキャラを登場させる以上、そういう政治的な問題に配慮するというのは運営として必要最低レベルの検討事項のはずです。それすらできていないとなると、運営の開発能力というより人間性をまず疑ってしまいます。

 

さらに補足すれば、どんな創作をするにしてもこのようなステレオタイプかつ偏見を助長するような演出を控えるべきだとまでは私は思いません。政治諷刺マンガなどの社会派作品、あるいは暴力描写の多い作品などでは、あえて差別的な言動をとるキャラを登場させることで社会問題を考えさせたり、あるいは作品のバイオレントな雰囲気を盛り上げたりすることもあるでしょう。しかし『ラブライブ!』シリーズはそのようなタイプの作品でしょうか? 明らかにそうではないですし、むしろそういう描写を最もやってはいけない類のコンテンツだと思います。

 

また少し脱線になりますが、ついでに言えばランジュやミアの言葉遣いに関しても杜撰さを感じます。ランジュは「無問題ラ!(冇問題啦)」という広東語のセリフを口癖のように発していますが、一方で19章最終話では「日文」を普通話と同じく rìwén と発音していたり、新曲『Queendom』における中国語部分の歌唱も普通話の発音になったりしています。まあ、「無問題ラ!」に関してはあくまでキャラ作りの一環であり、普段の日常会話では普通話を使っているということなのかもしれません親中派だからあえて広東語ではなく普通話を使っている?)。さらに「日文」について言えば、「日文」は「文字媒体としての日本語」を指す言葉であって、19章最終話におけるランジュのセリフの文脈からすれば「音声言語としての日本語」を指す言葉である「日語」を用いるべきでした。また、ミアの英語にもおかしな箇所があります。まずミアの最初のセリフである “……Hai. I'm Mia.” に関しては、“Hai” は “Hi” の誤りです。同じく19章最終話の「こんなローカルなトコ来たくなかった」に関しては、こういう文脈では local(局所的な、地域的な)ではなく rural(田舎の)などを用いるのが自然です(というかこのセリフも割と蔑視的で感心しませんね)。まあ他の部分が良ければ外国語がおかしいくらいのことでいちいち目くじらを立てるのも野暮というものですが、外国の文化や外交事情に対する運営の配慮の無さを考えると、このようなミスもそんな問題と同根なのではないかと疑いたくなってきます。

 


 

以上で、私が考えているスクスタ20章の問題点の説明を終わります。ネットでは、こういった数々の問題が生じた責任が全面的に脚本担当者(特に雨野先生)にあるかのような書き込みが多く見られます。確かに、脚本家の責任も重いでしょう。しかし上記で指摘してきた問題点はキャラや世界観の設定の根幹に関わるものばかりであり、脚本家が決定することとしては過大な重要事項ばかりであると思います。そのため、犯人探しをするのも野暮かもしれませんがどちらかといえばプロデューサー周辺のスタッフの責任がより大きいのではないかと個人的には考えています。

 

さて、本稿で書きたかったことは大体書けたのでこれで終わりにしてもいいのですが、これだけだと本当に20章を散々叩くだけになってしまい我ながら悲しくなってくるので、個人的に良いと思った箇所も(2点だけですが)挙げたいと思います。とはいえ、あまりにも上記の問題点が致命的かつ多すぎるので、良い箇所も素直に良いと思いにくいのですが……。

 

  • 『Queendom』は嫌いな人もいるかもしれないけれども個人的には自分好みの曲で、歌唱、CG、衣装、振付なども全体的に普通に良かったと思います。歌詞の内容はだいぶアレ(特に「革命」という言葉が政治的にアレ)なので評価が難しいですが、3つの言語を入れているのは面白い試みだと感じました。

 

  • 毎回のことですが、演者さんの演技は素晴らしかったですね。9話ライブシーンでかすみがファンに涙ながらに呼びかける相良さんの演技、果林やしずくに対して向けられたエマの怒りを表現した指出さんの演技は特に良かったと思います(ストーリーの内容が全体的にあまりにもアレなので、そういった場面でも感動はできませんでしたが……)。指出さんは、怒りを込めずに読んでもそこまで違和感の無さそうな箇所もしっかりエマの怒りを込めて読んでいたのが印象に残りました。

 

 

そういえば、またdisに戻ってしまい恐縮なのですが、かすみのライブシーンが良かったという意見を多く目にしました。スクスタ20章はかすみ推ししか得しないなどとも言われています。しかし、他のキャラが設定崩壊レベルの描かれ方をしているような支離滅裂な脚本でかすみだけまともで見せ場があっても全く嬉しくないし、むしろかすみを利用して無理やりお涙頂戴ストーリーに仕立て上げられている感じすらあって胸糞が悪かったです。ちなみに私はかすみ推しです。

 

それと、他のアイドルアニメ作品とのストーリー展開の類似を指摘する意見も散見されましたが、これについて多少の私見を述べておきます。まず、スクスタ20章はTVアニメ『アイカツスターズ!』2期の展開に似ているという指摘について。『スターズ!』2期において、エルザ・フォルテは執拗にアイドルを勧誘したり、徹底的な実力主義者で他者を扱き下ろすことも日常茶飯事だったりします。しかし四ツ星学園を買収したりS4などに卑怯な嫌がらせをしたりすることもなかったはずです。小春がヴィーナスアークに移籍した件は、(それが判明した時のインパクトはありましたが)別に不自然な話でも胸糞の悪い展開でもなかったと思います。『スターズ!』2期のストーリーについては賛否が分かれるところですし私も思うところはありますが、少なくともスクスタ20章の筋の悪さに比べれば全然マシではないでしょうか。

 

次に、TVアニメ『プリパラ』2期との類似を指摘する意見について。実を言うと私もスクスタ20章を読み終えた瞬間に何となく既視感を覚えたのですが、これはまさしく『プリパラ』2期によるものでした。紫京院ひびきがプリパラを良くしようという正義感から「革命」を起こし、それに対して「み~んなトモダチ! み~んなアイドル!」をスローガンとするらぁら達が抵抗を試みるというあらすじ。ひびきが怪盗ジーニアスに扮してらぁら達のプリチケを強奪し、セレパラ体制成立後はひびきが認める天才アイドル以外はライブへのエントリーを許されないという状況。これだけで、スクスタ20章における虹ヶ咲の状況に似ていることが分かります。特に、ひびきに唆され圧倒的なライブに魅了されたそふぃやシオンがセレパラ歌劇団に加入する箇所は、まさしく果林や愛が「スクールアイドル部」に加入する場面そのものであり(しかも、そふぃと果林は奇しくも中の人が同じ)、驚くほど一致していると思いました。たしかに、ひびきが長期間にわたって横暴な振舞いを演じ続け、らぁら達の抵抗がなす術もなく打ち負かされていくというストーリーはストレスフルなものでした。ひびきの好感度についても、過去のトラウマの問題から始まる救済のストーリーに加え、ティーカップ破壊や語尾嫌悪などのギャグシーンによる好感度調整もあるものの、多くの視聴者から支持されたとはとても言えないでしょう。しかしそふぃは同好会に対して何の配慮も見せない果林とは異なり、そらみスマイルを離れるかどうかでかなり葛藤し、らぁら、みれぃとよく相談した上で離脱していました。あのシオンですら、ドロシー、レオナとよく相談した上で決断しています。ですから、好感度やギスギスの問題はともかくとして、スクスタ20章で見られたような設定崩壊レベルの不自然で支離滅裂なキャラ描写があったとまでは感じられないというのが私の意見です。(それにしても「TVアニメは、TVアニメの朝香果林として見守っていただけると嬉しいです」という久保田さんのツイートを読むと、自らが演じるアイドルキャラの二度目の離反という現実を久保田さんはどう受け止めているだろうかと考え込んでしまいます)

 

本稿の最後に、スクスタ20章というモンスターとどのように向き合っていくべきか自分なりの心構えを述べておきます(他の人もこのように考えるべきということではありません)。まず、今後追加される新章を待っていれば20章で受けた傷は修復可能だとする意見がありますが、そもそも私がこの記事をこのタイミングで書いたのは、今後いかに素晴らしい内容の新章が追加されたとしても20章は禍根を残すものだと思ったためです。20章で各キャラがとった行動に実は深い意味があったと分かったとしても、20章に大きな問題があるということは20章だけを読めば十分わかります。深い意味云々については先ほど「問題点1」に関する記述の末尾で検討しましたが、やはり相当厳しい状況にあると感じました。ですから、今回の騒動は、ある程度の長期間にわたり虹ヶ咲というコンテンツに禍根を残していくことになるのではないかと予想しています。

 

その上で、今回の騒動で思い出したのは『アイドルマスター』における9・18事件です。9・18事件の背景を考えると、当時の『アイマス』界隈の状況は現在の『アイマス』や『ラブライブ!』界隈とは異なりメインと言えるコンテンツや媒体の種類が少なく、現実逃避のための逃げ場所として用意されたコンテンツが無かった分P達が受けた精神的ダメージは痛烈なものでした。ですから、もちろん単純に両者を比較することはできません。しかしスクスタ20章事件(同じ記法で書くなら10・31事件か)は、10年の歴史を持つ『ラブライブ!』シリーズの中でも間違いなく最大規模の炎上騒動でした。私は6年以上にわたりシリーズを追ってきましたが、ここまでファンの分断が生じたことが過去にあったという記憶はありません。今回の事件で純粋に驚いたこととして、これほどファンの神経を逆撫でする展開が可能なのかという運営に対する驚きもありますが、これまで脳死、信者と揶揄されがちだったラブライバー層の過半数が一斉に20章を拒絶しているのか、というファンに対する驚きもあります。そのため、(悪い意味で)歴史が動いたと感じました。こういった意味では9・18事件と比較するのはさほどナンセンスではないでしょう。9・18事件も今回と同じくまさに地獄の様相を呈していましたが、P達はこの死線を潜り抜け、あれから10年経って現在の『アイマス』界隈は大盛況です。『ラブライブ!』もそのような未来を見ることができるだろうか、という一縷の希望も無いわけではありません。そう考えると、今回の炎上が始まった時間帯に「アイマス最高」がトレンド入りしていたのは象徴的な出来事だったように感じられます。

 

  • 追記 (2021.09.11)

本稿の続編となる記事『スクスタ2ndシーズンとは何だったのか——20章が遺した傷痕』を書きました。こちらの記事では、本稿において指摘した数々の問題点が2ndシーズン完結までに解決したかどうか、またそれらに付随して新たに生じた問題点として何が挙げられるかなどを考察しています。